2012年から取り組みはじめたワーケーションとこれからの理想

Myoko Workation column

妙高ワーケーションセンター ワーケーションコーディネーターの竹内義晴です。

近年、急速な拡がりを見せるワーケーション。「ワーケーション」は日本で生まれた和製英語なのか? ネットの海から初出を探るによれば、ワーケーションという言葉がアメリカで使われ始めたのは2005年ごろ。日本で使われはじめたのが2008年ごろ。そして、紙面に登場したのが2015年ごろなのだそうです。

わたしがはじめて「ワーケーション」という言葉を聞いたのは、おそらく、2017、8年ごろだったと記憶しています。当時の印象としては、「ワークとバケーション? そんなはたらき方ができる人なんて、いるのかな?」でした。

一方、いわゆる「観光と仕事」といった文脈ではなく、仕事は仕事としながらも、わたしが、いまで言うところのワーケーションのようなアイデアが浮かんだのは2012年8月のことでした。それからいままで、紆余曲折を経ながらも、さまざまな取り組みをしてきました。

そこで、この記事では、「妙高市の」ワーケーションというよりも、「竹内個人」が、これまで歩んできた「ワーケーションの取り組み」についてお話したいと思います。

なお、わたしは現時点で、「ワーケーション」という言葉が、わたしが、あるいは、わたしたちが実現したいこととして適切なのか、よくわかっていません。正直なところ、「ワーケーションという言葉でなくてもよい」と思っています。実際、わたしが取り組み始めた2012年には、まだ、ワーケーションという言葉を知りませんでしたし、使ってもいませんでしたから。

一方、いまの段階では、ワーケーションという言葉が便利なので、この記事では、ワーケーションと表記したいと思います。

2012年:「ビジネスマンのための癒しのホテル」というアイデアが浮かぶ

わたしが最初に、ワーケーションのようなアイデアが浮かんだのは、2012年8月のことでした。その日はとても暑い夏の日で、在宅での仕事になんとなく集中力が切れかけていたわたしは、気分転換に車を走らせて、自宅から10分ほどの距離にあるいもり池に行きました。

いもり池には、池のまわりを散策できるコースがあります。缶コーヒーを飲みながら、私はいもり池のまわりをゆっくりと歩きました。

すると、なんとなく頭の中にモヤモヤした、何か、新しいアイデアのようなものが浮かんできた気がしました。そこで、日陰にあったいすに腰かけて、その、モヤモヤした何かを手帳に記すことにしたのです。

そのアイデアとは、「ビジネスマンのための、癒しのホテル」というものでした。具体的な内容は、当時書いたブログ『もしも、「ビジネスマンのための、癒しのホテル」があったら・・・』に記しています。ざっくりと要約しますと……

  • 妙高でビジネスマンのための施設を経営する。観光地妙高高原にありながら、その施設は観光客のためではなく、ビジネスマンのためにある
  • 仕事に必要な機材が整えられ、自由に仕事ができる環境がある。それはまるで、高原の中にあるコワーキングスペース
  • そこにいるのは、都会で活躍しているビジネスマン。休暇ついでにこの施設にやってきた。パソコンさえあれば仕事ができるため、ラフなスタイルで、文章を書いたり、プレゼン資料を作ったり、プログラミングをしたりしている
  • 仕事に疲れたら、外に出て緑の中を散策する。自然のエネルギーを感じながら歩いていると癒され、行き詰っていた仕事に新しいインスピレーション、クリエイティブなアイデアが降りてきて、「よしっ、やるぞ!」という力が湧いてくる
  • 高度なスキルを持っている方は合宿セミナーを開催している。都会の無機質な会議室ではなく、窓からは木々の緑があふれる非日常の中で、リラックスしながら学ぶことができる
  • この施設では、ビジネスの戦場で疲れた人々が住み込みで働いている。施設の周囲には小さな農場があり、大自然の中で野菜を育てることで暖かい土とふれあい、失いかけていた自分自身を取り戻していく
  • このシステムは、これまで難しかったメンタルヘルスの課題を解決するための手法としてビジネスの現場からも評価され、企業が資金的にサポートし、行政も支援してくれている

というものでした。

このアイデアがなんとなく頭の中に浮かんだとき、わたしは「あ、これだな」と思いました。「こういった施設があれば、都市部の人たちにとってもいいし、仕事を通じた人の流れができれば地域にとってもいい。というより、もし、こういうビジネスセンターがあったら、ボク自身がそこで働いてみたい」……そのように感じて、「あぁ、こういうビジネスセンターができたらいいのになぁ。取り組んでみたいなぁ」と思ったのです。

2013年:「森の中のコワーキングスペース」をつくる取り組み

とはいえ、この時点では単なる妄想です。ビジネスセンターをつくるなんて財力があるわけでもないし、特別な人のつながりがあるわけでもありません。というより、わたしに実現できる要素は「ゼロ」です。

それでも、「こういうのって、あったらいいと思うんだよね」みたいなことを、SNSに書いたり、身近な人に話すことからはじめました。

すると、知人からSNSのコメントで「使っていない別荘があるのですが、使ってみませんか?」というお声がけをいただいたのです。

写真を見せていただくと、とても雰囲気のある建物でした。「いきなり大きい建物は無理だけれど、まずはここなら……」という、実験的な意味合いも兼ねて、そのお申し出をお受けすることにしました。

その建物は「晴耕雨読」と名付けました。日々いそがしいビジネスパーソンが多い中、「晴れた日は田畑を耕し、雨の日には本を読む……そういう生活って、なんかいいな」と、以前から好きな言葉でした。

コンセプトは3つのC。

1.Community:仕事の悩みや将来の夢を気軽に話せる場
2.Coworking:自由に働ける場。コワーキングスペース
3.Café:地域の人たちが気軽に集って話せる場

こんな場にしてみたいという願いを込めて、小さく取り組むことにしたのです。

2015年:挫折

しかし、理想とは裏腹に、まったくうまく行きませんでした。

晴耕雨読の雰囲気は、とてもいいところでした。けれども、コワーキングスペースといったって、特別何かがあるわけではありませんし、カフェといったって、飲食店にするには大きな改装が必要です。というより、そもそも飲食店をしたいわけではありません。

ときどき、風のうわさを聞きつけて話をしにきてくれたり、仕事の相談をしたいと来訪してくださる方もいましたが、お世辞にも「うまくいっている」と自信をもって言える状況ではありませんでした。

イベントをやれば人は集まりましたが、集まるのは物珍しかった最初だけ。何度かイベントを企画しましたが、人を集めるために「イベントをすること」が目的になってしまい、続けることが苦しくなりました。

また、2012年に抱いたイメージでは、「ビジネスマンのための癒しのホテル」でしたが、よく考えてみたら、「そもそも、せっかく観光に来たのに、わざわざ仕事はしないよな」とか、「仮に仕事をするにしても、軽い仕事をするならホテルでするよな」という考えにいたり、無計画だった自分を恥じました。

さらに、妙高高原は豪雪地帯です。グリーンシーズンは気持ちがいい天国も、ウインターシーズンは建物の管理が大変です。そこで、2年の契約更新を機に、いったん閉めることにしたのです。

この経験で気がついたのは、「箱(建物)だけあっても、誰も来ないよな」ということでした。毎月の賃貸料や光熱費など、多少の費用は掛かりました。でも、大きなケガをせずにこの経験ができたのは、いまとなってはよかったなと思っています。

2016年:再び、できることを取り組みはじめる

晴耕雨読は閉めましたが、ビジネスセンターのコンセプトは間違ってはいない。いや、こういった施設や仕組みは絶対に必要だと思っていました。そこで再び、できることから取り組みはじめることにしました。

いま思えば、いろいろとやりました。

いろいろと試みてみましたが、どれもこれも鳴かず飛ばず(笑)。「自然がストレス改善に与える影響を測定して、エビデンスを作ってみよう」と、新潟ろうきん福祉財団の助成事業に応募して採択いただいたこともありましたが、素人には効果測定はなかなか難しく、期待された結果を出すことができませんでした。応援してくださった審査員のみなさまには、大変な無礼をはたらいてしまいました。

改めて振り返ってみると、このような失敗ばかりだったような気がします。

そういえばもう1つ、2016年に取り組みはじめたことがあります。それは、自然体験を生かしたストレス改善の試みです。

個人的な話で恐縮ですが、わたしは2003年~2005年ぐらいにかけて、過度な仕事のストレスで心が折れかかった経験があります。実は、このころから、自宅の畑で野菜作りをはじめたのですが、農業の「無心になって種を植える」「適度に体を動かす」といった体験が、ストレス改善にかなりいいなと、自身の体験を通じて思っていました。

また、「種を蒔く時期には、タイミングがある」「レバレッジが効く」など、植物の成長に自身やビジネスの成長を重ねることで、多くの学びがあるとも感じていました。

そこで、このような自然や農業の体験を、いつか、企業研修のような形にしてみたいと、そばの収穫体験の取り組みをはじめました。

2017年:妙高と東京で2拠点ワーク・複業に取り組む

多くの試みは失敗ばかりで、結果は何も出せてはいませんでした。それでも、このころから「都市部と地域を定期的に行ったり来たりしてみたい」と思っていました。なぜなら、わたしがやりたいことのお客様は「都市部にいる人たち」だからです。営業……ではないけれど、やりたいことを何らかの形で、都市部の人たちに伝えてみたい。そんな風に思うようになっていたのです。

そんな折、2017年1月に、サイボウズというIT企業が「複業採用をはじめる」というSNSの投稿を偶然目にしました。「複業採用って何だろう?」と興味半分に覗いてみたところ、他社で既に仕事を持ちながらも、サイボウズの理念に共感いただける方を採用するとありました。

新潟に住んでいるわたしが、東京の企業で、どんな働き方をして、どんな内容の仕事をするのか、当初はまったく見当がつきませんでした。その前に「そもそも、地方在住でも大丈夫なのかな?」とも思いました。でも「いままでの経験が生かせて、妙高と都市部を定期的に行ったり来たりできるのならば、これは、いい機会になるかもしれない」と思い、応募してみることにしたのです。

幸いなことに、「週2日複業社員」「フルリモートワーク」という形で受け入れていただき、マーケティングやブランディングの仕事に関らせていただくことになりました。

2017年11月にはサイボウズの社員を妙高に招いて、そばの収穫体験を行ったりもしました。

2018年:「地域複業」に関心を持つ

妙高を軸に、東京は拠点という働き方をはじめて、しばらく経ったときのことです。比較的早い段階で、「もしも、ボクの働き方の逆ができたら」――つまり、地方の企業に都市部の人が複業できたら――人材不足に悩む地方の企業や、人口減少に悩む地方にもいいはずだし、地方や地元のことが気になっている都市部の人にもいいのではないか? というアイデアを思いつきました。つまり「地域複業」です。

そこで、その考えを記事にまとめたり、イベントを開催したりしました。いろんな人たちの話を聞いてみると、「地方に関心がある」「地元のことが気になっている」など、都市部の人のニーズはあることが実感できました。

また、2018年の秋ごろ、妙高市役所の知人から連絡があり、「テレワークを通じて人の交流を作るようなことをしたい」との話をいただくようになりました。そこで、妙高市役所と都市部をつないだイベントを企画。都市部と地域を行ったり来たりしながら働く、これからの働き方を実現する取り組みの模索をはじめました。

2019年:ワーケーションに取り組みはじめる

このころから、妙高市役所の企画政策課のみなさんとやりとりをするようになっていました。妙高市では、ワーケーションを通じて都市部と地域を行き来する関係人口を増やす取り組みを考えていたようです。

そして、2019年11月、妙高市は日本能率協会マネジメントセンターと、ワーケーションに関わる包括連携協定を結びます。

冒頭でも触れましたが、わたしがワーケーションという言葉をはじめて聞いたのは、これ以前の、2017、8年ごろでした。最初の印象が「ワークとバケーション? そんなはたらき方ができる人なんて、いるのかな?」だったわたしは、ワーケーションには懐疑的でした。

しかし、その後、紹介していただいた日本能率協会マネジメントセンター 川村泰朗さんの話をうかがったところ、目指しているのは、いわゆる「観光型のワーケーション」ではなく、企業にとって、これからの時代に必要な人材を育成するための「ラーニング(企業研修型)ワーケーション」であることを知り、「なるほど、これならば、企業にとっても、地域にとっても価値があるかもしれない」と思ったのです。

その後、2020年6月の事業開始に向けて、妙高市役所や日本能率協会マネジメントセンター、それ以外にも、協力してくださる企業と話をするようになりました。

2020年:妙高市のワーケーション事業に参画

2020年6月、妙高市は、これまで、教育体験旅行などの実績があった妙高市グリーン・ツーリズム推進協議会と共に、ワーケーション事業をはじめることになりました。わたしは、ワーケーションコーディネーターという役割を拝命し、ワーケーションのプログラム開発に関わることとなりました。

そして、この1年は、関係者とプログラムを作ったり、情報を発信したりしてきました。

ちなみに、妙高市のワーケーションの取り組みは、大きく分けると……

  • ラーニング・ワーケーションを中心にした、人材育成型のワーケーション
  • 地域の企業と都市部人材を複業などの形でつなぐ地域複業(ビジネスマッチング)
  • 地域の人材がチームを組んで仕事に取り組むワークシェアリング

かつてない取り組みに、正直なところ、事業を進める上でいろんな悩みや課題はあります。それでも「地域ならでは」を生かしながら、少しずつですが、形になってきているのではないかと感じています。

たとえば、前出の日本能率協会マネジメントセンターとは、協働でhere thereというプログラムを作りました。妙高ならではの自然を生かした、人材育成プログラムです。

これまでの取り組みについては、改めて記事にしたいと思っています。

いままでの8年間と、これから

さて、ここまで、わたしがワーケーションに取り組んできた遍歴について、お話させていただきました。

ここまでのお話をお読みいただいた通り、そのときどきの状況を見ると、失敗の繰り返しでした。「わたしはこんな実績を残してきた!」などと、大きな声で言えることなど、なにもありません。

その一方で、2012年にはまだ何の形もなかった妄想が、紆余曲折を経ながらも、なんとなく形になり始めていることにも気づかれるはずです。

もちろん、これまでがそうだったように、「必ずこうなりますよ」などという保証はないし、未来がどうなるかなどということは、誰にも予想はできません。うまく行かないことのほうが多いでしょう。

それでも、理想を描いて、いまできることを取り組んでいけば、多少、時間はかかるかもしれませんが、何かしらの形にはなる……いままでがそうでしたし、これからも、そう信じています。

そのためにも、わたしは、あるいは、わたしたちは、前を向いて歩んでいきたい。思い通りにならないことがあっても、理想を分かち合えるみなさんといっしょに、コトを動かしていきたい。そんなふうに考えています。

まだまだ至らないところはたくさんありますが、これからも応援していただけるとうれしいです。

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